2016-03-09 第190回国会 衆議院 農林水産委員会 第2号
私も、ちょうど農林委員長のときに、一緒にHACCPなんかも行きましたけれども、この海外展開、六次産業化というのをどのように進めていくか、大臣からもう一度お聞きしたいと思います。
私も、ちょうど農林委員長のときに、一緒にHACCPなんかも行きましたけれども、この海外展開、六次産業化というのをどのように進めていくか、大臣からもう一度お聞きしたいと思います。
埼玉県の農業会議というところ、私も県会議員で環境防災農林委員長という役職を受けたときに、この農業会議というのは各都道府県にあるんだと思うんですけれども、農地転用を最終的に審議して知事に答申をする機関であります。それが、平成二十四年度の農地転用許可件数が、埼玉県で三千六百九十九件。
〔総員起立〕 衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され さきに農林委員長予算委員長の要職につき またしばしば国務大臣の重任にあたられた正三位勲一等井出一太郎君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ————————————— 裁判官訴追委員の予備員辞職の件
――――――――――――― 衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議 をもってその功労を表彰され さきに農林委員 長予算委員長の要職につき またしばしば国務 大臣の重任にあたられた正三位勲一等井出一太 郎君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげ ます ―――――――――――――
その間におきまして、特に生体牛を扱っておる問題などにおいては私なども中心になりまして、アメリカの農林委員長以下十三名の農林委員、さらに防衛委員、科学技術委員、商工業委員、ウエーズ・アンド・ミーンズ・コミッティーの委員等等、五つのディビジョンに分けて日本に呼んだことがございますが、そのときに彼らが宮崎県、鹿児島県に行きまして生体牛の実態を見て、一軒当たりで五頭か六頭しか飼っておらないという実態を見て、
〔総員起立〕 参議院はわが国民主政治発展のため力を尽くされ特に院議をもつて永年の功労を表彰せられさきに農林委員長懲罰委員長の重任にあたられました元議員羽生三七君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます —————・—————
○金子国務大臣 この問題は、私が農林委員長の時代に初めて予算措置が講じられたものです。その当時もずいぶん議論がありました。自来、長年にわたって予算をふやし、そして執行を続けておりますけれども、成果が思うように上がっていないということは私も認めております。いろいろ地元の協力も必要でありますけれども、やはりもっと根本的にこれをおさめていく科学技術の検討が必要である、私はこのように考えております。
また羽生君は、昭和二十二年の第一回参議院議員選挙に当選されて以来、三十年の長きにわたって在職されましたが、農林委員長をお務めになった時期など初期の数年を除いて、今日に至るまで一貫して外務委員または理事として御活躍になりました。
そういうことを配慮して、次に農林委員長提案の修正案が出される予定になっておりますので、その際、修正案の内容等については、特に森林組合の単独法制定の問題等については、委員長から提案される修正の中に、それを目標にした検討事項というものが明らかにして出されるということを十分覚悟して、そのあとで政府の所見があれば、あとで述べらるべきであるというふうに思います。 以上で、本日は、質問を終わります。
そこに衆参の農林委員長や、農林大臣、総理大臣までが、メッセージを送る。あれにはまことにいいことが書いてありますね。全くいいことが書いてある。しかし、実際にやってみるとあのとおりならない。いつも同じようなことを言いながら、中身が違う。
それまで私もずっと農政に自民党の中で関係しておりまして、農林委員長などもやらしていただきましたが、増産ドライブをかける当時、いわゆる生産費・所得補償方式をとる時分、野党の皆さんもそうですが、学者なども、いまに日本人は米を食わなくなるから用心せよ、こんなに増産やったんじゃいまに困るぞと言った方は、実は一人もなかったのです。
赤城さんが農林大臣、農林委員長はいま文部大臣をやっておる高見三郎君、林野庁長官は田中重五君というわけで、まあなかなか顔ぶれがよかったし、それ以上に当時の当委員会は与野党を通じ——いまが悪いというわけじゃないですよ、当時も他の委員会と比べて相当遜色のないくらい充実しておったこともこれは事実なわけです。
また、それとともに私の思い出の一つに、私が農林委員長であった当時でありますけれども、衆議院の与野党の絶対多数が賛成可決して本院に回付してまいりましたいわゆるドッグレース法案を、ギャンブル法案をこれ以上ふやす必要はないという立場から審議未了、廃案にしたことも記憶の中にございます。
(拍手) 君は、農林水産委員会において終始熱心に審議に当たってまいりましたが、ことに、昭和二十七年には農林委員長、三十五年には農林水産委員長の重職に選ばれ、わが国農政の一時期を画すべき段階において、よくその職責を全うされたのであります。 そして、昭和四十年六月には、嘱望されて第一次佐藤内閣の農林大臣に就任されました。
〔総員起立〕 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに農林委員長農林水産委員長の要職につきまた国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等坂田英一君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます ————◇————— 故議員坂田英一君に対する追悼演説
————————————— 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに農林委員長農林水産委員長の要職につきまた国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等坂田英一君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます —————————————
この委員長質問というものは、当時われわれ理事が相談しまして、そうして問題をまとめて、農林委員長質問という形で赤城農林大臣に数点の質問を行なったわけです。赤城農林大臣の答弁についても、これも委員長質問については、あらかじめ、どういうような積極的な答弁あるいは内容を明快にするかという打ち合わせ等も慎重に行なって、いわゆる委員長と大臣との間の取りまとめの質疑が行なわれているわけです。
それで昭和三十四年十二月に、吉川久衛先生が時の農林委員長当時に、和田博雄さんが質問をし、時の伊東農地局長が答弁しておる。その時分の農林大臣は、いまの大蔵大臣の福田さんですが、福田さんも答弁しておる。議事録を全部読んで検討してみますと、農林省のほうも非常にあいまいな点が多くあるのです。ああいう農業用施設を土地改良区がつくって、そうしてあの道路を有料として料金を取る。
――実は先ほど申し上げました私学共済の審議が間ずっと中断されまして、きょうから再開ということになるのですが、いっか理事懇談会等で、私学共済は農林共済との関係があるからしばらく待てというようなお話があったのですが、そのときに委員長は、おれが農林委員長と何か話をしてみるというようなお話でありましたが、農林共済と考えながらどういう御相談をくださったか、委員長からひとつお漏らしいただけばありがたいと思います
ただいま川村委員からお話しの農林共済との関連については、当時理事会で御相談申し上げましたごとく、農林委員長と相談をいたしました。その際、農林委員長の話では、農林委員会における各政府提案の法律案の審査が相当おくれて、農林共済関係の法律はずっとあとになるおそれがある。
○和田鶴一君 一年間農林委員長の間、委員の皆さん方から公私ともに非常な御協力をいただきまして、大過なく任務を終えて、このたび任田委員長と交代することになりました。 今後も委員として当委員会に籍を置いて皆さん方とともに審議に当たるわけでありますが、どうぞ今後ともよろしく御指導、御鞭撻をお願いいたします。 ありがとうございました。(拍手) —————————————
これはりっぱな農林委員長なるがゆえに、私も大いに期待するところでありますので、この点切に要望をする次第であります。この点ひとつぜひとも今後注意をされて、よりよき方向をとっていただきたい、このことをお願い申し上げます。今後やっていただけますか。